リベラルアーツカフェ116

<私>はコピーできるのか?:
デジタル・クローンについて考える(前編)

リベラルアーツカフェVol.116レポート

 私が所属しておりますリベラルアーツとちぎと自治医科大学倫理学研究室との共催による「リベラルアーツカフェ Vol.116・117 <私>はコピーできるのか?:デジタル・クローンについて考える」を2回シリーズにて開催いたしました。倫理学研究室ではデジタル・クローンについての勉強会に参画していることもあり、今回デジタル・クローンについての哲学対話を企画することとなりました。

 哲学対話の特性上、対面開催とリモート開催とでは対話の内容や指向性などに差異が生じやすいこともあり、敢えて同じテーマについて対面とリモートでの2回開催を当初想定しておりましたが、新型コロナウイルスの影響がまだ心配される時期でもあったため、2回ともリモート開催といたしました。今回は初回のレポートです。

 初回は2022/12/17にリモート開催いたしました。初回はデジタル・クローンについての範囲を敢えて限定せず、参加者それぞれが想像する「デジタル・クローン感」に基づいた対話を進めていきました。はじめはどちらかというとロボットのような、現実世界に存在しそうなクローンの話から始まりました。昔のアニメで言うとパーマンのコピーロボットのようなイメージでしょうか。「コピーがあったら便利」といったような現実的な話や、「どちらが”本物”なのか?」「どちらも”本体”では?」「もし事件が起こったら、どちらが裁かれるのか?」といったような倫理的な話題にも展開していきました。これらは「メタバースで自分のアバターが勝手にモノの売買や金銭のやり取りをしてしまったら?」というような、比較的近い将来、現実問題となり得そうな話題とも云えるでしょう。

 次に出てきた疑問としては「コピーとは何?」という問いでした。「脳のコピーでは?」「自分の子どもは自分のコピー?」「そもそも同期して行動するのか、別人格として行動するのか?」など、参加者それぞれのクローンやコピーに対してのイメージや前提などの違いが現れます。また、作家・東野圭吾さんの「分身」という作品を紹介する方が居られたりするところを見ると、前述のパーマンのコピーロボットなどと同様、既存の小説やアニメなど、個々が過去に触れてきた様々な「作品」から受けるイメージが、各々の「デジタル・クローン感」形成の一端を担っているのかもしれない、などとも感じました。

 更にはクローンについての「自我や自覚」「意識」「五感」などの話題にも展開していき、「言葉が無くても伝わる存在なのか?」という問いが出てきます。これに対し「脳が一緒なのか?」「むしろ第三者では?」という、前出したような疑問が再び出てきます。(経験上、哲学対話ではよくあることで、既出の問いや発想・感想などに何度も立ち返っていくことがあります。)「言葉無しで伝わる存在」に対して、「そもそも自分と自分が対話して生産的なのか?」という問いが投げかけられます。他の参加者からは「例えば、哲学者は自分と対話するのでは?」という答えが返ってきます。自分の中にある”自分”という存在は、デジタル・クローンに通ずる所も多いのかもしれません。

 対話の最後の方では「そもそもデジタル・クローンは社会倫理的にどうなの?」という問いも発せられます。ミラーワールドやメタバースといった現実世界のパラレルワールドに自分の分身を置くことによる自他への影響などのほか、「犯罪者のクローンはOKなのか?」「例えば、ノーベル賞受賞者のクローンは増やした方が良いのか?」といった、いわゆるデジタル空間上での話に収束し始めます。「技術の進歩は止められない」といった意見も出るように、デジタル空間内に”自分”を自由に置ける日が近づきつつあることも示唆しているのだとも感じます。

 初回は、デジタル・クローンの範囲を限定しなかったことや、参加者がやや多めだったこともあり、時間の大半が対話の「発散」に費やされました。時間も少々短く、やや消化不良感もあったようにも感じられたため、次の2回目ははじめから「デジタル空間内のクローン」という限定を付した上での思考・対話実践とすることをお伝えし、初回の幕を閉じました。

[文責:藤平 昌寿(リベラルアーツとちぎ 代表)] 

リベラルアーツカフェVol.116開催のお知らせ

 2022年7月までとちぎサイエンスらいおんにて実施されていた「サイエンスらいおんカフェ」を引き継ぐ形で、「リベラルアーツカフェ」として継続しております。


ご質問等は info@la-tochigi.net でも受け付けます。


 12月・1月は初の2回連続シリーズで、哲学対話を行います。

 テーマは「デジタルクローン」。デジタルクローンって何?という方がほとんどだと思いますが、AIを使って自分のクローン的存在をデジタル空間に表したり、生前のデータを使って死後に残したりといった試みが行われています。
 ・・・というと、なんか難しそうに思う方もいらっしゃると思いますが、今回はタイトルにもあるように、「もしも「私」のコピーがこの世に存在したら・・・?」という感じの対話をしようと思いますので、難しい知識などは一切いりません。想像の世界と対話を楽しんでみましょう。

 今回は2回シリーズですが、片方だけの参加でも、両方参加いただいても、もちろんOK!です。もしかしたら、デジタルクローンについての研究仲間が一緒に参加してくれるかもしれません。哲学対話が初めての方でも大丈夫。最初に簡単なルール説明をしますので、そこからはすぐに参加できます。今回もできれば多くの世代の皆さまにお集まりいただければ幸いです。ぜひぜひ、お気軽にご参加ください。

from: 藤平 昌寿(リベラルアーツとちぎ代表)