リベラルアーツカフェ117

<私>はコピーできるのか?:
デジタル・クローンについて考える(後編)

リベラルアーツカフェVol.117レポート

 私が所属しておりますリベラルアーツとちぎと自治医科大学倫理学研究室との共催による「リベラルアーツカフェ Vol.116・117 <私>はコピーできるのか?:デジタル・クローンについて考える」を2回シリーズにて開催いたしました。倫理学研究室ではデジタル・クローンについての勉強会に参画していることもあり、今回デジタル・クローンについての哲学対話を企画することとなりました。

 哲学対話の特性上、対面開催とリモート開催とでは対話の内容や指向性などに差異が生じやすいこともあり、敢えて同じテーマについて対面とリモートでの2回開催を当初想定しておりましたが、新型コロナウイルスの影響がまだ心配される時期でもあったため、2回ともリモート開催といたしました。今回は2回目のレポートです。

 2回目は年が明けて2023/1/29に、やはりリモートで開催しました。前回の予告通り、デジタル空間内に限定したクローンについての対話です。参加者が一部入れ替わっていることもあり、はじめはデジタル・クローンについてのイメージなどの話題です。「デジタル・クローンをポジティブに捉えるのか? ネガティブに捉えるのか?」という問いに対しては、「日記やSNSの投稿もある意味デジタル・クローン」という比較的ポジティブな意見が出され、また、「(前回も出た話題だが)クローンを生成するのにそのオリジナルに対する”選別”はあるのか?」という、”作る側”と”作られる側”という関係性を示唆するような話題も出ました。

 「デジタル・クローンが欲しい? 欲しくない?」という問いが出ます。これに対しては「多様性の担保」「自分のアーカイブ」といった機能としての存在意義に言及する場面もありました。更には「自分を助けるのは”自分”? それとも”自分でなくても良い”?」という発展的な話に至り、「SNSのリマインダって、自分のクローンからのお知らせでは?」という立ち返りもありました。また、クローンに対して”テーラーメイドの感覚”なのか、”着させられている感覚”のか、といったイメージの違いも現れ、再び関係性や相互性に関連する発言もありました。「自分のクローンって自分より”チョイ足し”したくならない?」という発想は、なるほどと思いながらも面白い感覚だと感じました。

 “チョイ足し”や”着させられる”感覚から連想されるのであろうか、「自分を超えるクローンの存在」に言及がある一方、主体性や意思といったものが、オリジナルから「自律」しているものなのか、あるいは「支配」されているのか、という話題も上がります。このような話から「完全なコピー自体が不可能ではないか?」という意見も出されました。

 後半、2つの印象的な話題がありました。一つは「ジョハリの窓」についての言及で、人間は自分自身について、「自分」「他人」の2者×「知っている」「気づいていない」の2事象の2×2=4象限の自分の姿(=窓)を持っている、というジョハリの窓の捉え方と、デジタル・クローンについての捉え方は密接に関係しそうだというお話。

 もう一つは「芸術作品もクローンの一種では?」という話です。偉大な作曲家の曲は数百年間その人の作品として再現され、偉大な作家の美術作品は長い間その人の作品として鑑賞され続け、これはもはや死後のクローンではないか、という考え方。この問いに対しては「ピアノの自動演奏もクローン?」「自動演奏と生演奏の雰囲気は違う」「ジョン・ケージの4分33秒はその場の雰囲気を味わう曲」といった、様々な解釈に繋がる言及がありました。

 今回は人数も少なかったため、最後に一人一言ずつ振り返っていただきました。
「2人称のクローン」「高度なロボット的視点」「互いに”私”」「自分に近い他人」「自分が”ツール”にはなりたくない」「ファッションのメタファー」「リアルとリモート」「”コピー”の定義」といったキーワードが出てきました。

 2回を通して多岐に亘ったため、断片的にしか捉えきれない部分もありますが、参加者それぞれの身近に「デジタル・クローンと言っても大丈夫な存在」があり、技術の進歩とともにその形や大きさを変えつつ、時に姿を現したりしながら、実に上手に付き合っているのではないか?と思われます。それらの原点は恐らくデジタル以前から自分の中にある”自分”であり、デジタル・クローンは自己のジョハリの窓を見直すきっかけをくれたり、自分の死後により伝えやすくするためのツールになったりするのではないか?という期待を感じながら、レポートといたします。

[文責:藤平 昌寿(リベラルアーツとちぎ 代表)] 

リベラルアーツカフェVol.117開催のお知らせ

ご質問等は info@la-tochigi.net でも受け付けます。


 12月・1月は初の2回連続シリーズで、哲学対話を行っています(12月分は終了)。

 テーマは「デジタルクローン」。デジタルクローンって何?という方がほとんどだと思いますが、AIを使って自分のクローン的存在をデジタル空間に表したり、生前のデータを使って死後に残したりといった試みが行われています。
 ・・・というと、なんか難しそうに思う方もいらっしゃると思いますが、今回はタイトルにもあるように、「もしも「私」のコピーがこの世に存在したら・・・?」という感じの対話をしようと思いますので、難しい知識などは一切いりません。想像の世界と対話を楽しんでみましょう。

 前回参加された方も、初めての方も、もちろんOK!です。もしかしたら、デジタルクローンについての研究仲間が一緒に参加してくれるかもしれません。哲学対話が初めての方でも大丈夫。最初に簡単なルール説明をしますので、そこからはすぐに参加できます。今回もできれば多くの世代の皆さまにお集まりいただければ幸いです。ぜひぜひ、お気軽にご参加ください。

from: 藤平 昌寿(リベラルアーツとちぎ代表)